先日(3月29日)行われました退職記念会には沢山の卒業生に参加していただきまして有難うございます。お礼申し上げます。また、研究室の卒業生のみならず物理やテニスなどを通して交流し交誼を持った数え切れない程多くの人達とこれからもその交誼を保ち続けたいものだと強く念願しているものです。
卒業生のお話の中でかなり多くの人達が「自分が一番の落ちこぼれであった」と主張されました。これはある意味で象徴的な事です。それは私の所に慕ってくる大半の人達は自分のピクチャーを持っている人達だからです。それに対して、私はいつも厳しいレベルの物理を議論してきました。そのため本当は学生どころかどの研究者も、もし彼が自分のピクチャーを持っていたら、それとの整合性を取ろうとするため物凄く長い時間が必要となります。従って、通常の感覚で言ったら当然落ちこぼれだと感じたはずです。しかし、それで良いと思っているし、それどころかむしろその姿勢をどこまでも貫いて欲しいものです。
しばらく前に大木君が面白い表現を教えてくれました。それは「若くても年をとっても理解能力はそれ程変わらない。しかし、年をとると理解したと思い込んでしまうため理解する努力を怠ってしまう。それが老化である」と言うものです。これは実に名言であり、記憶する事と理解する事は別の作業である事と関係しています。30歳を過ぎても60歳になっても理解し続けるためには、理解するために割くべき時間を惜しんではいけないという事だと考えています。
これまでに物理学の基本はほぼ十分な形で理解されました。量子電磁力学、量子色力学、弱い相互作用そして重力とそれら全てが場の理論の枠組みの中にきちんと組み入れられています。特に、重力は完全な形で理解されましたが、実際、一般相対論が観測値を再現できない事の証明はGPSとうるう秒のお陰でした( pdf )。まだひとつだけ繰り込み関係で未解決な問題がありますが( pdf )、しかしそれは量子場の理論形式の方向を変えるものではありません。しかしながら近い将来にこれを読んでくれた誰かがこの未解決問題を解いてくれるものと確信し期待している次第です。
藤田 丈久