教科書の訂正・加筆
教科書 「Symmetry and its breaking in quantum field theory」 が2007年3月に
出版されてから、12月末に第2刷がだされ、若い人達(学部生、院生)からのポジティブ
な反応も多く寄せられ、この本を書いて良かったと思っています。
場の理論の理解に対して、QEDの繰り込み理論を除いて、基本的にかなり批判的な立場で
教科書を書いたのに対して、共感している若い人達が予想以上に多くいる事に、
驚きとともに大変心強く思っています。
しかしながら、自分としては十分注意深く書いたつもりでいても、不十分な点がありました。
付録 G の経路積分の所は、これまでの場の理論の教科書と同じ記述を入れましたが、
実際には、場の理論における経路積分は、場を量子化出来ていない事が、教科書を
出版した後で、わかりました。実は Feynman が経路積分を定式化したのですが、
彼は場における経路積分も正しい定式化を行っていました。それは、場の量子化とは
パラメータ空間(ベクトルポテンシャルの展開係数)での量子化(オペレータ化)である事を
彼は良くわかっていたからだと思います。従って、Feynman の場の理論に対する経路積分は、
QEDにおけるパラメータ空間での多重積分となっています。その意味では、彼は、QEDの場合、
場のハミルトニアンがパラメータ空間において量子力学の調和振動子そのものに
対応している事を良く理解していたと言う事だと思います。ところがその後に使われている
場の理論における経路積分はこれとは全く異なる多重積分(場そのものによる多重積分)
をしています。この手法は場の量子化になっていなく、物理的な意味は不明です。
これは場の量子化の意味をきちんと理解し、かつ経路積分の限界を
しっかり捉えていれば、間違える事ではなかったと思っています。
数式の変形は正しく
実行すれば、それは「tautology」であり、何かを進歩させた事にはなりません。物理で
何かを進歩させるとは、より深く考えて、新しい「見方」を見つける事です。式を変形する事
に関して言えば、新しい見方を発見するための手助けになる事は良くあると思います。
経路積分はある振幅を書き換えて多重積分にしたという、ただそれだけの事です。
新しい点は微分方程式を解かなくても、多重積分だけである種の物理量が計算できる
場合があると言っている事です。
大変残念なことながら、格子ゲージ理論を基礎にして数値計算をしている場合の大半は、
この、間違った「場の経路積分」を使い計算されています。数値計算の中身をしっかり
見ていた研究者の中には、その計算結果に多少の疑問や不思議さを感じておられた方が
きっといるものと思います。しかし、現在の科学研究における研究評価の大半は「多数決」で
行われている事も全く否定し去ることは出来なく、これまで気が付いていても修正する事が
出来なかった事は、やむを得ない事ともいえます。
この事は、先日、西島先生と議論した時に
先生が言われた事と関係しています。先生は『研究成果の評価は基本的には「多数決」で行われている
から、本当に新しい考え方や多数派を否定する理論は簡単には評価されないが、これは気にする
事はない』と言っておられました。
何故これまで人々が間違った描像を持ち続けてきたのか、これは恐らくは「場」に対する考え方
そのものにも原因がある気がします。電子を表すシュレディンガーの波動関数は「場」そのものです。
この波動関数が粒子の存在を記述している事は良く知られている事です。ところが「場」をぶつぶつに切り、
それを古典力学によるバネで結びつけた描像を紹介している教科書があります。J.J Sakurai の
「Advanced Quantum Mechanics」がそのうちの一つです。この本は決して悪い本ではありませんが、本の
最初である序章の部分で「座標を格子状に切り、それぞれがバネで結ばれ
この連成振動のラグランジアンから質量ゼロの場の理論を導出する」という間違った描像を紹介しています。
これが経路積分において、場をぶつぶつに切って多重積分する事の正当化になっているのではないかと
危惧しています。「場」を座標空間で格子状に切っても物理的には全く意味は無く、勿論それぞれの「部分」
が自由度を持つなどと言う事はありません。場は古典力学とは全く無関係である事は明らかなのに、
物理的に正しくない解説が比較的よく読まれている本にみられるのは本当に残念な事です。
自分の反省の意味を込めて、付録を書き換えた物をPDFファイルで載せておきます。
いずれ、改訂版が出版される時には入れ替える事になっています。