Et Tu, Anomaly ! (アノマリーよ、お前もか!)
場の理論の研究を始めてから二十数年、今回ほどショックを受けた事はこれまでありませんでした。カイラルアノマリーとして、現在まで多くの物理屋をある意味で楽しませてきた方程式が全くの間違いであったとは! 教科書「Symmetry and Its Breaking in Quantum Field Theory」の第2版が丁度出版された直後にこの事が明確になりました (ニュートリノ洋書販売 , Amazon) 。そのため、教科書では2次元場の理論に限定はしていましたが、そのアノマリー方程式を解説していました。その意味では2重にショックです。
一体、アノマリーとは何だったのか、まずは簡単に解説したいと思います。もともとはπ0-->2γの解析から始まりました。π0中間子は他のπ中間子とは異なり、電磁的な相互作用で崩壊します。このため、通常のπ中間子の寿命と比べて10桁近くも短い事が実験的に知られています。この実験データを再現する理論として三角形図と言われているファインマン図があり、この計算によりπ0中間子の寿命は正確に再現されています。この事は西島先生の「Fields and Particles」に12ページに渡ってその計算手法が記述されています。
その意味では、三角形図には何の異常もありません。しかしながら、このファインマン図によるT行列を計算すると見かけ上の発散(無限大)が現れます。実際にはゼロになるこの発散を正則化することにより有限量を導き出した事に対応しています。もう少し厳密に言うと、π0中間子は実験的にも有限な寿命が観測されており、これは議論の余地がありません。それで人々は擬スカラー結合ではなくて、軸性ベクトルカレント結合の相互作用を持ってきて、このT行列の線形発散を正則化することによりアノマリー方程式を導出しています。
それでは軸性ベクトルカレント結合の三角形図によるファインマン図のT行列は本当に発散があるのでしょうか?この計算は確かに誰がやってもかなり時間がかかる計算です。しかし、少し実力のある院生ならば、3ヶ月あれば恐らくは計算できるものです。その結果、驚いた事に、線形発散はトレースの段階でゼロになり、従ってT行列には線形発散などなくてどこにも全く問題ありません。さらに、Log 発散も消えてしまい、物理的な観測量であるZ0ボソンの崩壊幅のT行列が有限で求められています。但し、この崩壊幅は角運動量の選択則からゼロになる事が計算されます。それではAdlerは何故、線形発散があると思ったのでしょうか?これは彼の論文を読めばすぐにわかる事ですが、彼は2個の光子を入れ替えたファインマン図をきちんと計算しないで、入れ替えないファインマン図と同じであるとして計算をしてしまいました。このために線形発散が出てしまった事がわかっています。この2つのファインマン図を足したらゼロになるという事は、ある定理(Landau-Yang の定理: 2個の光子から全角運動量1の状態は作れない)でよく知られている事でした。この定理に関しては群論の知識が正確であれば間違う事はあり得ません。
今から考えると西島先生は、この事つまりどの三角形図にも発散がないと言う事を知っておられたと思われます。それはスカラー結合の場合に発散がない事で驚いて先生にお聞きした時、即座に「私の本(Fields and Particles)の171頁を読みなさい」と言われましたが、これは先生が全ての三角形図に発散がない事を実際の計算で知っていたからだと言う事が今は良くわかります。しかしながらこれは驚くべき事ですが、西島先生のπ0-->2γの仕事は教科書でしか発表されていなく、論文にはなっていません。この仕事は今となっては歴史的にも最も重要な論文の一つなのですが、当時のこの仕事の評価は予想外に低かったと言う事でしょうか。西島先生は「仕事の評価は多数決だから評価されなくても気にしないように」と私をよく励まして下さったのですが、しかしこのπ0-->2γの仕事の評価を見る限り、先生自身も「多数決」の被害を被った人である事が伺えます。一緒に議論して頂いた当時には全く思いも依らないことでしたが・・・。
しかし、いずれにせよ自然科学を学び自然を理解しようとする学者の立場からすると問題はかなり深刻である事がわかります。それは三角形図に関する自然現象に関しては全て理解されているにもかかわらず、アノマリーの問題が当然のごとく現在も議論されている事です。現実には、π0-->2γとZ0-->2γの崩壊過程が実験的にわかっており、π0-->2γの寿命は西島先生の計算により正確に再現されているし、Z0-->2γは理論的に禁止されているのに対して実験的にも崩壊幅はゼロと矛盾しない事が報告されています。この場合、自然科学としてはそれ以上理解したいという対象が存在していません。従って、アノマリー問題は研究以前の問題で、自然科学の研究対象にはならないという事です。それにもかかわらず、このまま行くとアノマリーを消去するための様々な理論的な発展が自然と遊離した「虚軸空間」において行われる可能性があります。
いずれにしても、この様な事があってはならないのですが、一体、素粒子論では何故この様な不可思議な事が起こっているのでしょうか?根本的な原因としていくつかの問題点が考えられると思います。一つにはQEDの繰り込み理論の難しさがあります。QEDの繰り込み理論は基本的には朝永、Feynman、Schwinger等の人達によってその基礎が作られました。しかし、最新の場の理論の知識からこれらの理論を検証してみると、結局、朝永のみが正確に繰り込み理論を理解していた事がわかってきています。すなわち、朝永以外の理論屋はフォトンの自己エネルギーの問題で重大な誤解をしていました。この誤解こそが深刻な問題を引き起こしてしまった根本原因になっていると思われます。細かい事はここでは解説できませんが、この誤解が「ゲージ理論のみが繰り込み可能である」という幻想を生み出し、そのため「ゲージ条件」と言う奇妙で非物理的な条件がずっと一人歩きしてきました。実はこの事が、アノマリー問題とも密接に関係していました。結局、繰り込み理論は「観測量を計算するための手段」であるときちんと考える事が出来ていれば、このような「非科学的」な現象が起こる事はなかったと思っています。
さらにサイエンスに対する考え方の問題があります。物理学は常に自然を理解する事を目的とした学問です。ところが、素粒子論屋の大半は「理論内の整合性」の検証を最優先します。例えば、一般相対論の研究をしている人達はその理論の解の整合性を検証しますが、それはほとんどの場合、その理論の枠組みの中での検証となります。それが自然界のどの現象を表現するためであるかと言う最も重要な問い掛けに欠如しています。この一般相対論の例だけでなく、かなり幅広く、理論至上主義に毒された研究者が後を立ちません。科学はあくまでも自然を理解するために数学を使っています。理解したい自然現象が存在しない場合の理論模型は当然の事ながら、科学には無意味です。それは科学というよりも、「哲学的科学」とでも言った方が良いと思われます。今はその時代は終わりました。これからは常に自然現象の記述を最優先する事が最も重要になります。理論内の整合性をしっかり検証する事は勿論大切な事です。しかし、それが自然界と無関係では模型としての意味はなく、どうしたら自然界を記述できるのかという事こそが最も重要です。しかし同時に、自然界の記述は、理論内の検証と比べたら、比較にならないくらいに難しい事です。自然界は我々人間にとって、決して優しくはなく、ほとんどの場合、残酷なくらいに複雑であると思われます。
もう一つ、これを読んでおられる諸氏は仰天するかも知れませんが、かなり多くの物理屋は面倒な計算を自分でチェックしたがらないと言う事実です。例えば、前述した三角形図の計算(西島先生の教科書の計算)ですが、大半の素粒子論研究者はこの計算の検証を自分ではしていません。やろうとしていないのか、実は計算が出来ないのかその辺はよくわかりませんが、私の知る限りで後者が多いものと考えています。従って、彼らは誰か「有名人」が言った事を受け売りで解説しているだけです。更に困った事に、この有名人達の中でも自分で式をチェックできる人が極めて少数であるという事実です。そしてこの人達は数学が言語である事をよくはわかっていません。このため、例えば超弦理論の専門家と称して「高等数学(?)」を駆使した理論模型を解説しておられる「有名大学(?)の有名人」はその数学が言語で言ったら「どこかの方言」を喋っている事に過ぎない点を理解していません。しかしその方言が面白いとその内容とは無関係に物理の世界で急速に伝播してしまう現象が良くあり、この事こそが最も重大な問題点であると考えられます。超弦理論を解説する前に、その理論模型が最も重要な基礎としている「一般相対論とアノマリーの物理」を余程きちんと検証しない限り、不安で不安で超弦理論による研究など普通の人にはとても出来ない事だと思われます。
現在、素粒子論の若手研究者や大学院生にとって、その研究環境の状況は非常に厳しく難しいものになっています。その場合、特に院生諸君は自分の指導教官に具体的な問題を質問することが、何かを変える第一歩だと思われます。例えば、超弦理論の研究者を指導教官にしている院生は、その教官に「三角形図の計算 (Z0-->2γ)」を目の前で具体的に実行してもらうべきです。院生はそれを主張する権利があり、指導教官はそれを解説する義務があります。それは、超弦理論が基礎としている理論的根拠の一つにアノマリーがあるからです。この計算を何日か徹夜してでも行い、黒板でしっかり解説してもらい、この三角形図の計算が本当に発散するのかどうかをともに検証すれば次の進展を考えて行く事ができると思います。
最終的には常に実験によって自然界を理解する事になります。最新のCERNでの実験報告では、Higgs粒子が存在する可能性は95%以上なくなったという事です。教科書ではHiggs機構の問題点を充分なスペースで議論しているので、ここでのコメントはいたしませんが、今後、弱い相互作用の見直しがどうしても必要になる事は明らかです。
Higgs機構
以下に参考論文を挙げておきます。教科書では解説し切れなかった部分を入れてありますので、教科書の補充部分として活用して頂きたいと考えています。
アノマリーの論文