卒業生の皆様へ : 政治と教育 -- 師走のお話 (2014年12月)
師走が近づくと世の中がせわしくなるのはいつもの事です。ましてや総選挙。それにしても、大学が1学期に15週授業をしなければいけないと言う愚かな「通達」を出した責任者は誰なのでしょうか?これはどう見ても、頭でっかちで大学での教育経験のない人達かまたは御用学者でまともな大学教育をした事がない何とか委員会の連中が勝手に決めた悪法ですね。これは学生の自由闊達な成長を阻害するだけではなく、大学において創造性を育む教育体制を崩壊させかねない深刻さを持っています。尤も、引退した自分にはもはや関係はありませんが・・・。しかし、大学においては、教授陣は激烈な情熱で講義準備をして、しかしのんびりと教え、学生達は強烈に高い集中力を保って、しかしゆったりと勉学に励む・・・若い人の真の成長はこの事によってのみ増幅されます。この悪法は政治的な学者が惹き起こす「典型的な弊害」の一つでしょう。
残念ながら、現実には科学の世界でも政治的に動きたがる学者が予想以上に多く、今やノーベル賞も「政治と金」を抜きにしては考えられないと言われている程です。特に近年のノーベル賞に関しては、確かに政治が強く関係しているのだろうと思われます。最近の物理学での受賞、特にHiggs はその典型例ですし、それと関係している自発的対称性の破れでのノーベル賞受賞も必ずや将来に禍根を残すものと思われます。政治とは関係ないとは思いますが、LEDの製品化での物理学ノーベル賞もある意味で不思議ですね。LEDもそれなりの価値はあるとは思いますが、しかし、それならばクオーツを腕時計にしたセイコーの技術者達の価値の方が歴史的にははるかに重要であり、彼らがまずは先に評価されるべきでした。
大学においても政治好きな人が少数ながらも必ず見られるものです。そして、その無能な人達が無駄に権力を持ってしまうと、その学科は内部崩壊に向かいます。ただし、それは外部にはわからなく、悪影響を受けるのは学生達だけと言う悲惨な状態になっています。
その政治家ですが、研究室の卒業生のなかに本当の政治家になってしまった変わり者もいます。但し、このA君は政治家2世でもあり、家を継いだとも言えます。彼の親父さんは、昔、九州地区の自民党の幹事長をしていましたが、私はこの親父さんが大好きで、よく一緒にお酒を飲んだり、また九州の実家に何回か泊めて貰ったりしたものです。その泊めて貰った部屋には九州のある地区の歴代組長の写真がずらっと並んでいました。恐らく、この親父さんは無類に面倒見の良い人で、ある意味での弱者を親切に丁寧に世話していたのであろうと想像しています。
20年以上も前の話ですが、このA君が結婚するからと言うので、私もその結婚披露宴に出席しました。それがまさかA君の政治家への出陣式だとは夢にも思わなかったものです。その披露宴でA君の修士論文の内容である「ビッグバンにおける原子核生成」に関するスピーチを行いました。その話に対して、その後すぐに「点から宇宙が出来たなんてこれは何かおかしい」と食って掛かってきた来賓者がいて驚いたものです。彼は麻生太郎と名乗っていましたが、その15年後には、彼の主張に沿った理論を自分が作る事になろうとは、その当時は夢にも思わなかったものです。その後、自分が知る限りではこの人は相当教養があり、ほとんどのマスコミの人達は到底かなわないレベルのように見受けられます。しかし生まれが良すぎるお坊ちゃんの割にはべらんめー口調で喋るため、恐らくは誤解されやすいタイプであろうと思われます。
しかし国の政治は多体問題としては難しすぎて、しかも近似解法がなかなか見つからなく、私にはほとんど理解できていません。また自分には東大闘争のトラウマがあり、どうしても政治が好きにはなれません。東大闘争では、ある日突然に昨日までの友人が学生運動に(全共闘、民青を問わず)突進して行く姿を嫌と言うほど見せられました。この集団運動の流れは一度動き始めるとそれを止める事は非常に難しく、正常な状態に戻す事に膨大なエネルギーを必要としています。これが国のレベルになったら、恐らくは何かが崩壊するまでその集団運動を止める事は出来ないのであろうと痛感しました。昔から「戦争を始めるよりもそれをやめる事の方がはるかに困難である」と言われてきましたが、それは実際その通りだと思われます。
しかしながら人間社会も自然界の一部です。この宇宙が本当の意味で無限である事が明白になった現在、地球の様な生命体を持つ星がこの「無限宇宙」には数え切れないほど多数ある事は間違いない事です。そして無限宇宙における地球のような星では生命の営みが粛々と進められていると考えられます。この事は地球上での生命のあらゆる営みが当然のことながら自然の一部である事を示しています。それは地球が太陽の周りを公転している事と同じ意味合いを持っていることに対応しています。人がどのように複雑怪奇な行動を取ったとしても、所詮は地球における自然現象の一環でしかなく、人はそれを単に「人工的で複雑」だと思っているだけなのでしょう。しかしながら・・・・・・・・・・・・・・
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