経路積分の解説 : Dirac と Feynman の物理センス
[経路積分] ☆☆ 2018年9月末 : 「新しい解説」
経路積分についてここで簡単な解説をしておこうと思います。まだ依然として、この経路積分が有用であると信じている若手研究者がいるように見受けられます。確かにこの方法は調和振動子ポテンシャルに関しては、第1量子化をうまく実行できていて、そのエネルギー固有値も正しく求められています。しかし一般のポテンシャルについては無力である事が証明されています。参考文献を挙げておきますので読んで見て頂ければと思います。 (Path Integral and Sommerfeld Quantization)].
ところで、この経路積分は最初にDiracがこの問題を調べ始め、それをFeynmanが引き継いで最終的な定式化をしたと言われています。結果的に、この手法が使い物にはならない事が判明している点を見ても、この両者の物理センスの違いが良く現れている気がしています。恐らく、Diracはこの経路積分の方法における限界とその問題点が分かっていたのではないかと推測しています。一方、Feynmanは経路積分の定式化を厳密に実行することに集中していた反面、経路積分の限界に関しての検証が甘かったものと思われます。
このことは繰り込み理論の問題に対する両者の違いを見てみると良くわかります。Feynmanはバーテックス補正に無限大が現れた時、その無限大の原因が彼が提案していた伝播関数そのものにあると言う事には考え及ばなかったものと思います。一方、Diracは物理的な観測量に発散がでたら、それはその定式化の何処かに欠陥がある事によっているはずであると主張していました。結果的には、場の理論計算における定式化の基礎であるFeynmanの伝播関数に問題の根源がありました。自然科学の論理からみてみれば、これはDiracの主張が正しい事は明らかです。無限大を波動関数に押し込めてしまい、その残りの量を観測量であるとするやり方には無理があります。しかし歴史的には、人々はFeynmanの方法を支持しました。それはその手法が簡単で実験も偶然、再現する事が出来たからでしょう。しかしそれにしても観測量に無限大がでてきたら、そこには定式化の基本的な部分に問題があるはずであると考えるのが自然なことだと思われますが、現実にはこれまでずっと繰り込み理論が支持されてきました。これは今となっては非常に不思議な事ですが、何が原因だったのでしょうか?
経路積分に関しても、もし微分方程式を解かないで、積分だけでエネルギー固有値が求められたら、それは確かに面白い方法だと言えます。しかしその場合、「束縛状態を解くための境界条件はどうしたらその定式化に組み入れる事ができるのか」と言う基本的な命題については、しっかり考えて検証する事が必須条件でした。しかし経路積分に関するFeynmanの3編の論文を読む限り、彼がこの問題を考えたと言う証左は見つかりませんでした。一方、Diracは恐らくこの定式化では境界条件を入れられない事を認識していたのではないかと想像していますが、残念ながらこの事を確める術はありません。しかしながらこれまでのDiracの主張を見る限り、彼の視点は常に合理的に物を見ているように見受けられます。
経路積分に関して簡単な解説をしましたが、歴史的に言って経路積分の定式化を誰がどのように行ったのかと言う問題も確かにある程度、重要であるとは思っています。しかしながら、自分に取ってはそれよりも遥かに大切な事があります。それは自分の言葉で自然をしっかり理解したいと言うことです。このために少しでも良いから前に進んで行きたいものと思っています。尤も、年を重ねてくると、残念ながらほとんど進歩はしていないことが自分には良く分かってはいます。しかしそれでも少しずつ少しずつ・・・ですね・・・・。
[付記] : 何故、一般相対論は無意味か? [2023年12月]
現在、一般相対論が何故,物理的には無意味な理論であるかと言う事が厳密に証明されています。これは Einstein 方程式は数学的に間違っていると言うわけではありませんが、しかし物理的には無意味な方程式であると言う事の証明です。小ノート 『 何故、一般相対論は無意味か? 』を参考にしていただければと思います。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論のような物理的に意味をなさない理論に多くの人々が振り回されてきた事実は取り返しがつかない程、重いものですね。しかしこれからは前を向いて行くしかありません。この場合、物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要であると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を模索している時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事です。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。
[付記TT] : 耳に胼胝(タコ) [2025年1月]
耳に胼胝(タコ)ができる程、繰り返し言っている事ですが、レベルが高くなればなるほど、常に新しい技術を学び続ける事が重要です。学問の世界(特に理論物理)では、教授になってからどのくらい努力して新しい計算技術を学び続けるかと言う事が極めて重要なポイントになっています。さらに、物理学において最先端の研究を行うためには30歳過ぎてからの猛烈な努力が必要なものです。その努力を続けて行かないと幽霊学者になってしまいます。そして、物理学における現在の日本の状況に関してはかなり憂慮するべき状態となっていますね。尤も、アメリカの(有名)大学ではすでに30年近く前からどうにもならない程、レベルが低下してきたわけですが、近年、日本がこれを見習うようにレベル低下が起こっています [ 日本の科学研究の凋落] 参照。本当に、どうしたら良いのでしょうか?