卒業生の皆様へ : Planck 質量のお話 (2018年9月半ば)
宇宙論ではPlanck 質量やPlanck 時間と言った言葉が良く出てきます。しかしこれはあまりにも幼稚なレベルの理解不足が原因となったものと考えられます。それで、ここではPlanck 質量などと言う量は物理的に無意味である事を簡単に解説しようと思います。このPlanck 質量とはNewton方程式における重力ポテンシャルに出て来る重力定数 G と関係して定義されたものです。勿論、このGの値は実験的に決められたもので、それ自体が問題を含んでいると言うわけではありません。所が、これは電磁気学における結合定数とは異なり、その定数 G 自体が次元を持っています。実際、Gは質量のマイナス2乗の次元を持っているため人々はこの定数が持っている次元から質量を割り出しました。但し、求められた質量が何なのかを理解しているわけではありません。ともかく Planck 質量は 1/√G に比例していますが、しかしこの物理的な意味合いは、勿論全くありませんし、自然現象との接点はゼロです。このため、Planck スケールが宇宙初期と関連しているなどと解説する人は、物理学の基礎をほとんど理解していないと思われても反論できない状態となっています。
もう少し具体的に解説して行きましょう。まず、Newton方程式が物理学の基礎方程式ではない事をきちんと理解する事が大切です。古典力学は量子力学の基本方程式である Schroedinger 方程式を近似する事により求められます。この導出法は Ehrenfest の定理として知られており、量子力学演習で計算した記憶がある人も多いかと思います。そしてその Schroedinger 方程式は Dirac 方程式から求める事ができます。この場合は Foldy-Wouthuysen 変換というユニタリー変換を用いる事になり、4年生でも計算の得意な学生ならば、あるいはDiracのハミルトニアンから非相対論的なハミルトニアンを求める事が可能かと思われます。従って、このことから Dirac 方程式が物理学の基礎方程式であると言う事が良くわかると思います。そうすると、この Dirac 方程式の中に重力ポテンシャルをうまく入れられない限り、重力定数 G と言ってもそれが何なのかさっぱり分からない事になっています。すなわち、Dirac 方程式における重力ポテンシャルの起源とその物理的性質が理解できない限り、古典力学で扱う重力ポテンシャル自体の物理的な意味はわからないと言う事になっています。従って、Newton方程式の範囲内で重力定数を議論したとしても、その定数自体が物理的に何なのか分からないと言うことは至極自然な帰結となっています。これらの事をきちんと理解するためには場の理論による重力場方程式を作らない限りそもそも無理な話でした。現在はその理論体系が作られているため、重力定数Gの意味合いも理解できています。そしてこの重力定数は電磁気学の結合定数と同じ意味合いとなっている事が示されています。
この場合、Planck 質量とかPlanck 時間とかに関連する物理を研究または解説している人達は結局、物理学の基礎に対しては殆ど興味を示さない人達であると言う事になっていると思われます。この様に見てみると Planck 質量という言葉を使って何らかの物理を研究または解説している人達は、一体、どのような環境下で物理的な基礎を学んでこられたのかと不思議でもあります。いずれにしても、宇宙論ではPlanck 質量などと言ってそれがあたかも自然界と関連があるような表現さえ出ていますが、これも一般相対論のような見かけ上は難解でしかし実際は幼稚な理論に人々が誑かされてしまった結果とも考えられます。実際、言って見れば『一般相対論とは難しい漢字を音読みにして作られた創作話』によく似ていると言えます。すなわち一般相対論は微分幾何学を言語として用いているため多少、複雑にみえていますが、しかし実際の内容は単純で幼稚な理論であると言う事だと思われます。
物理学に限りませんが、学問上、ちょっとでも進歩するためには膨大な労力と長い時間が必要です。残念ながらこれはどうにもならない事実ですね。これから若い人達が基礎的な物理学を地味にしっかり学んで、少しずつ少しずつ、しかし着実に成長してゆく事を切に願っています。
[付記] : 何故、一般相対論は無意味か? [2023年12月]
現在、一般相対論が何故,物理的には無意味な理論であるかと言う事が厳密に証明されています。これは Einstein 方程式は数学的に間違っていると言うわけではありませんが、しかし物理的には無意味な方程式であると言う事の証明です。小ノート 『 何故、一般相対論は無意味か? 』を参考にしていただければと思います。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論のような物理的に意味をなさない理論に多くの人々が振り回されてきた事実は取り返しがつかない程、重いものですね。しかしこれからは前を向いて行くしかありません。この場合、物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要であると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を模索している時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事です。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。
[付記TT] : 耳に胼胝(タコ) [2025年1月]
耳に胼胝(タコ)ができる程、繰り返し言っている事ですが、レベルが高くなればなるほど、常に新しい技術を学び続ける事が重要です。学問の世界(特に理論物理)では、教授になってからどのくらい努力して新しい計算技術を学び続けるかと言う事が極めて重要なポイントになっています。さらに、物理学において最先端の研究を行うためには30歳過ぎてからの猛烈な努力が必要なものです。その努力を続けて行かないと幽霊学者になってしまいます。そして、物理学における現在の日本の状況に関してはかなり憂慮するべき状態となっていますね。尤も、アメリカの(有名)大学ではすでに30年近く前からどうにもならない程、レベルが低下してきたわけですが、近年、日本がこれを見習うようにレベル低下が起こっています [ 日本の科学研究の凋落] 参照。本当に、どうしたら良いのでしょうか?