東大授業料値上げ? (2024年12月)
東大が授業料を値上げしようとしていると言う問題について、少なからぬ読者が疑問を持っているようです。このため、この問題点についてここで簡単に解説しようと思います。確かに、この10年以上に渡り、国立大学の予算は毎年1%程カットされて来たと言われています。このため地方の国立大学に取って、教育・研究どころか大学運営そのものがかなり困難に陥っているようですが、これは事実であろうと思われます。
しかしながら、若者を教育すべき大学が授業料を値上げして、その大学経営の不足分の補填を学生に転嫁しようとする考え方はどこから出て来るのでしょうか?勿論、実家が裕福な学生も一定数いるとは思います。しかし日本の将来を背負って立つ若者は苦学生から多く出て来ることは間違いない事です。その若者達に取って、そもそも現在の国立大学の授業料はお話にならないくらい高すぎます。この高すぎる授業料をさらに値上げするなど、これはまともな学者が考える事ではありませんね。
さらに言えば、各学部の教授会は執行部の決定に対して何も言わないのでしょうか?まさか、過半数の教授が『幽霊学者』になっているわけでもないでしょうに、実際はどうされたのでしょう??
多くの読者が疑問に思っているのは『予算が足りなくなったらその補填を何故、政府に直談判しないのか?』と言う事であろうと思います。これは不思議としか言いようがない事案ですね。東大は政府(または文科省)に対して、何か遠慮でもしているのでしょうか?これまで十数年間、行政は大学教育全般に対して『途方もない愚かな政策(取り返しがつかない程の失政)』を実行してきたわけですが、大学側はこの点に関して、どのように理解されているのでしょうか?
大学は行政(政府)に対してどこまでも強く厳しく接する必要がありますが、これは『有能な若者を育てる』と言う日本の将来が掛かっている重大問題だからですね。現在、日本の研究・教育レベルの低下は相当、深刻になっていると言われています。しかし関係者諸氏は暢気でおられるように見えますが、実際はどうなっているのでしょうか?まさか『有能な若者は自然に育つ』とでも思っているのではないでしょうが???
[注1] 『幽霊学者』 : ここでは中身が乏しく、足が地についていない学者と言う意味合いで使っています。それ以上の意味は特にありません。
☆☆ [付記] 『学ぶ事とは』☆☆
どの分野においても、学ぶと言う事は『まねをして技術を習得する事』です。この場合、まねをする元のモデルが優れている事が非常に大切です。テニスにおいては、例えば現在世界 No.1 のシナーのサーブは非常に良いサーブである事が良く分かりますが、これは結果がはっきりと出ているからですね。そして彼のサーブはまねをするモデルとしてはかなり良いサーブモデルとなっています。
しかし例えば、理論物理においては『一般相対論』にしても1960年代に提案された理論模型(『自発的対称性の破れ』など)にしても、自然界に応用される事なしに評価されてしまったモデルです。このため、それを学んだ多くの物理屋はその後、悲惨な状況になってしまいました。その意味において、まねをする時にどのモデルを元にするかと言う事は非常に重要ですね。
大学院における教育で最も重要な事は、学問における良いモデルが何であるかと言う事をきちんと教えることです。勿論、学ぶ(まねをして技術を習得する)努力をするのは大学院生ですが、教える教授が多くのモデルを自分の手で検証している事が必須条件となります。但し、この検証には途方もない程、時間が掛かる事となっています。そしてこの検証を自分の手で行っていない教授が教えると、教えられた院生に取ってはそれがほとんど理解できないと言う事になってしまう可能性が高いものです。
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