『何故、一般相対論は無意味か?』 [2023年12月 (付記あり)]
この小ノートは『理論物理の間違い連鎖』の第2章を抜粋したものに水星の近日点移動関連の小ノートを加えてまとめ直したものです。これまで長い間、一般相対論と言う全く無意味な理論に多くの人々が振り回され、そして貴重な時間を無駄に費やしてきました。この場合、恐らく一番大きな原因は Einstein が『物理学の non-professional』であったにもかかわらず、神秘性を帯びた有名人になってしまったため、その発信力が無用に増大してしまったと言う事であろうと考えられます。
さらに言えば、その後、この訳の分からない理論を翻訳して、それを人々に伝え続けてきた物理学者達の責任も看過できない程、重いと言えます。職人的な物理屋は自分が理解できない事を人に教えると言う事は決してしないものですが、職人的でない翻訳物理学者(時に秀才と呼ばれる)は自分が理解できていなくても、それを適当に脚色しながら解説書を書いてしまうものです。このため、読者はそれを読んでもさっぱりわからないわけですが、解説している翻訳物理学者は翻訳しているだけですから悠然たるものですね。従って、この翻訳者達は『読者(専門家を含む)がその解説を理解できないとしたらそれは読者側の責任である』と言う姿勢を取り続けてきました。このため、この分野での進展が全くないまま、何十年も経ってしまいました。これは本当に悲しい事ですが、しかしどうにもやり様がない虚しさだけが残っています。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論とは関係ありませんが、巷で良く見られる稚拙で間違いを多く含んでいる物理の解説(動画)にも似た現象があります。この場合は、わかり易さをうたい文句にしているようですが、しかし解説者は自分の言葉で説明しているわけではなく翻訳しているだけですから、問題があるはずがないと言う思い込みがあるように見受けられます。これは一般相対論の解説者と基本的には同じ穴の狢であろうと思われます。
結局、物理をしっかり理解するためには、自分で式のチェックを時間をかけて実行して、その物理の内容をじっくり考えて検証することしか方法はないものと思っています。これは誰にとっても途方もない程、時間がかかる事ですが、しかしそれはこの上なく楽しいものですね。そして、物理は自然現象を理解しようとする学問ですが、それが全てでそれ以上のものではありません。その自然現象の基礎的な部分は『場の理論』によって正確に記述され、理解されています。自然現象を理解する上における理論上の困難さは全て『多体問題』の難しさにあります。古典力学の範囲においても、乱気流の問題はどうにもならない程、難しいものです。また、生物を電子の言葉で量子論的に理解しようとするとほとんど絶望的に難しいものです。しかし何とか、少しずつでも進歩して行く事が今後の重要な方向となっています。
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記]:物理と哲学 [2023年12月]
物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要となる場合があると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を考える時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事ですね。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。
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