浜松の『斎藤塾』 : 1960年頃のお話 [2021年6月]
☆ 浜松市 :
1960年代、浜松市には『斎藤塾』と言う名物塾があった。この塾は基本的には中学生と高校生に英語と数学を教える塾であったが、しかし進学塾とはとても言えないレベルの教え方と教育内容であった。斎藤先生の事を我々は塾のおやじと言っていたが、この先生が英語を教えていた。一方、数学は別の先生(愛称『ゴッツァ』)が教えていたが、この先生の数学のレベルは大学教授と同等であると言う評判であった。
☆ 斎藤塾のおやじ :
このおやじさんは当時、70歳前後になっておられたものと思われるが、自分には正確な年齢はわかっていない。本人の話では彼は『尋常小学校』しか出ていないと言う事であった。しかしおやじさんは当時の知識人の中でも突出して優れた学者であったことは間違いないものである。特に、戦後の知識人の間には『左翼ウィルス』に感染した人達が多くて、その無能な学者達が東大などの大学の教授として指導的な地位についていた時代であった。それと比べると塾のおやじさんは豊富な知識だけではなく、ものの考え方も非常に優れていて、極めて高い見識を持っていた事は間違いない事である。おやじさんがよく言われた事として『学者も芸者と同じで遊び心がないといけない。お金のために学問をしたら、ろくなことはできない』とある。学問をする上で『食うための学問は駄目だし、金亡者の学問はさらに無意味である』と言うものであった。
☆ 英語のテキスト :
英語の授業のテキストは『A Short History of the World (by H.G. Wells)』と「Religion and Science (by Bertrand Russell)』が主なものであった。それに加えて『Practical English Grammar (斎藤秀三郎著)』の本で文法を学ぶと言うのが授業内容であった。授業には 『Concise Oxford Dictionary』を持ち込むことは許されていたが、英和辞典の持ち込みは禁止されていた。この塾の授業においては『Practical English Grammar』が自分にはひどく難しいものであった。この本は19世紀の終りごろに書かれたものであるが、大半は英語での解説であった。たまにカタカナで注釈があると言う教科書であるが、その例文の豊かさは異次元のものであり、まるで辞書ではないかと思われるほどである。この塾の授業で鍛えられていたためか、大学に進学した時に1年生の英語の授業のレベルの低さにひどく驚いたものである。
☆ Poetry :
それと、たまに授業でおやじさんが『Enoch Arden 』の詩文を読むことがあったが、これは自分には全くわからなかった。ただ、それにもかかわらず、非常に印象に残っている事は確かである。意味は分からなくても、その詩文を読んだ時の韻の美しさのようなものが心に残っている。何故だろうか?
☆ Pascal の Pensees :
また上記に記したテキスト以外に、時に新しいテキストを使う事があった。特に自分が斎藤塾を卒業する前の半年間ほど、Pascal の『 Pensees』を読んでいた。これはかなり難しい本ではあったが、しかし非常に面白いものでもあった。特に Pascal は人生の様々な場面において『賭ける』事の重要性を指摘していたが、この思想はその後の自分にかなり大きな影響を与えたことは確かな事である。
☆ 巨大しゃもじ :
塾のおやじさんは大きな『しゃもじ』を自分の机の脇に置いてあった。それでたまに生徒の肩をその『しゃもじ』で叩くのである。自分も叩かれたが、その時の理由は単純で『先週、この語源について教えただろう』と言うものであった。英語の授業でおやじさんが最も強調したのは『語源』であった。単語には必ず、その歴史がある。それをきちんと理解して初めてその単語の意味と背景が分かると言う主張であった。最初に自分がその語源の重要性を学んだ単語に『atom』がある。鉄腕アトムと言う人気漫画が流行っていた頃でもあり、当然、この『atom』には興味を持った。その時、おやじさんは『a』は否定であり、『tom』は cut であると教えられた。従って、これ以上切る事が出来ない、すなわち、『atom』は原子であると言うものであった。また、しばしば例として説明された事の一つに『educate』がある。この単語の意味を語源からきちんと理解する必要があると言うことであった。『e』は out であり『duce』は lead だからこの educate と言う単語はその人がうちに持っているものを導き出すことであると言う事である。これには異論もあるようだが、自分はそう解釈して充分であると思っている。実際、duce 関連では abduct, induce, produce, reduce など沢山の単語があるが、 educate を教育と訳すには何らかの形で導き出すと言う意味合いとして理解するのが自然な事であろう。尤も、言葉は時代と共に変遷するため、その言葉の背景を正しく理解する事は常に難しいことであると言えよう。
☆ 塾の卒業 :
高校3年生の夏のある日、塾の授業の後、おやじさんに呼び出された。そして一言、告げられた。『塾をやめて受験勉強をしなさい』と。これには自分も少し驚いたが、ある程度は予想していた。3年生の仲間のすべてはすでに塾をやめて受験勉強に入っていたからである。そしておやじさんはさらにもう一言付け加えられた。『間に合わないだろうが、東大を受けなさい』と。これには多少、驚いたがしかし当時、田舎者はまずは『東京に出る事が重要な一歩』になると言う考え方が当たりまえの時代でもあったのである。
自分は塾のおやじさんに計り知れないほど大きな影響を受けた事は確かな事であり、それは自分に取って非常にプラスになってきたと思っている。今の自分はすでに当時の塾のおやじさんの年齢を少し超えてしまったが、今でも自分に取っておやじさんが自分の先生であることに変わりはないものである。ところで、塾のおやじさんの話の中で一つだけ真偽が確かめられない事がある。おやじさんは『自分は Russell 教授と一度会って話したことがある』と言う話を授業中の雑談で何度かされている。確かに1921年に Russell 教授は日本を訪問されているが、当時、おやじさんは30歳前後の若者である。この場合、彼がどのように Russell 教授と会われたのか興味はあるが、しかしながら今となってはそれは確かめようがない事でもある。
[付記] 斉藤塾時代の親友である三輪容次郎君から斎藤塾関連で幾つかコメントを頂きました。その中で、塾のおやじさんの義理の娘さんが作られた短歌が非常に印象的であり、ここに転載させて頂きたいと思います。
イノックアーデン 朗々と講ぜし日は遠く
われを寄せてかすかに 水欲しがりたまふ (斎藤秀子)
[fffujita@gmail.com]
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