卒業生の皆様へ : 植木日記 : クンシランの復活
[植木日記 3] クンシランの復活 (2024年4月)
1昨年、事情により60個程の植木鉢を半年間ほど、ベランダから他の場所に移した事がありました。従って、どうしても水遣りなどが不定期になったり、また雨が続くと鉢の土が水分過多になる危険性は避けられないものでした。実際、昨年の4月に植木が戻って来た時、それぞれの植木が多かれ少なかれ影響を受けていた事は確かな事でした。その中でもクンシランが最も大きな影響を受けたようでした。クンシランは乾燥に強い植物ですが、湿気には少し弱いのかも知れません。実際、クンシランの鉢は8個あったのですが、その内の3個の鉢のクンシランが地上の茎から折れてしまいました。特に、最も大きな鉢では3個の株すべてが枯れてしまったため、枯れた根のまま1年間、ほったらかしにしたままになっていました。残念でしたが、しかしこれはどうにも仕様がない事でした。
ところが、先日この鉢を再利用しようとした所,何と枯れた根の中から4個の小さな新しい芽が出ていました。これには本当に仰天しましたが、それにしても何と言う、この植物の強さでしょう! 恐らくクンシランの戦略としては地上の枝を切り捨てて、1年後に次の新しい芽を出して生き延びると言う事だろうと思います。しかしそれにしても、その生命力には驚きを超えて感動しています。[復活クンシラン]
植木の世話をする事は非常に楽しいものですが、しかし植木をベストな状態にキープすることはまた難しいものですね。ブルーベリーは4個の鉢のうち3個の鉢には花がつきましたが、もう1個の鉢には花芽は出ませんでした。今年は初めてビワの木に実がなりました。種から植えて6年目で実がついた事になります。それから昨年はアジサイに花芽はあまり付かなかったのですが、今年は全ての枝に花芽がついて吃驚しています。
春先の花としては、シンピジューム(これは冬から)、クンシランそしてシランがそれぞれに美しい花をつけています。また木の花としてはレモンと楠木の花がもうすぐ咲き始めるようです。1昨年、10年前の實生の夏みかんの木に花がついて、1個実も付けました。しかし、木が大きくなりすぎて鉢植えよりも地植えが良いと判断したため、友人(木内さん)に引き取って貰いました。実際、夏みかんの木は鉢植えでは難しいのですが、それでも現在、種から植えた 20〜50 cm の夏みかんの木が3本育っています。幼年時代、大きな夏みかんの木は遊び場であり、その木に登って遊びまわったことが影響しているのか、夏みかんへの思い入れは依然として強いものです。
余談ですが、夏みかんの美味しい食べ方があります。それは3個ほどの夏みかんの皮を剥いてさらに袋をとり、その実だけをタッパーに入れてそれに砂糖を適当にまぶして1日か2日程、冷蔵庫に入れておいてから食べると言うものです。これは家内の母が作り始めたものですが、この上なく美味しいものですね。この場合、酸っぱくてパンチの効いた夏みかんほど美味しいものです。
[植木日記1] : ヒヨドリとの会話 (2) :2021年7月 [再録]
ヒヨドリと口笛で会話していた時、ヒヨドリが虫(セミ)をとらえてそれを目の前で食べ始めました。但し、ヒヨドリがセミを取る瞬間は撮れてはいません。セミを食べているヒヨドリと自分との距離は1mです。(動画)
[付記] : 何故、一般相対論は無意味か? [2023年12月]
現在、一般相対論が何故,物理的には無意味な理論であるかと言う事が厳密に証明されています。これは Einstein 方程式は数学的に間違っていると言うわけではありませんが、しかし物理的には無意味な方程式であると言う事の証明です。小ノート 『 何故、一般相対論は無意味か? 』を参考にしていただければと思います。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論のような物理的に意味をなさない理論に多くの人々が振り回されてきた事実は取り返しがつかない程、重いものですね。しかしこれからは前を向いて行くしかありません。この場合、物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要であると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を模索している時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事です。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。