教育優先の欠如 : 大学学長の資質 (2025年4月)
最近、大学の学長達(例えば東大と慶応)について、何かと言うと『お金』に関連した記事が報道されています。彼らが『お金お金』と言っているわけでは無いとは思いますが、しかしこれは大学人らしくない話題でもあり、かなり心配な事ではありますね。何か、20年前の日大の状況に少し似ているような気がしていますが、どうでしょうか [日大執行部の機能不全]。その日大は林理事長が予想を超えて頑張っておられるようで、近い将来には昔の『温かみのある教育優先の日大』に復帰出来るものと期待しています。少なくとも林さんは『拝金主義的(?)な学長達』とは対極にあるように見受けられます。
それでは何故、東大の学長がお金に拘泥するのでしょうか?これは恐らく、大学の執行部が学生の教育よりも大学の管理・運営を優先している事と関係しているものと思われます。その上『学長』に対する意味合いが昔とは大幅に異なっている事もその一因と考えられます。すなわち、現在の学長や執行部の人選は必ずしも『見識ある優れた学者』をベースとしているとは限らなく、むしろどちらかと言えば『組織の代表』としての意味合いが強いものと思われます。企業では執行部が無能だとその会社が潰れてしまう危険性があるため、執行部の人選はかなり重要で、企業の命運が掛かっている可能性があると思われます。しかし大学の場合、良い教育をして実力のある若者を育てる事が使命であり、金儲けではありません。その意味では、大学の学長には見識のある優れた学者が選ばれる事が最も良い人選である事は明らかですね。
ところが、大学法人化後は、大学も自らある程度の研究費を稼ぐべきであると言う『狂った政策』が実行されてしまいました [日本の科学研究の凋落]。このため、大学においては金集めを主眼とした学長や理事長と言った執行部が選出される場合が稀ではなくなりました。勿論、これらの人達に『高い見識』を期待し、求める事は無理な話ですね。その結果、大学の執行部には2流半の政治的な学者達が主流を占めてしまう可能性が避けられないものとなっています。
従って、現在の大学においては『教育中心』からはかけ離れた方向性により、事が進められてしまう恐れが少なくないと思われます。ところが、大学で『学生不在』の管理・運営をしても、そのことで困るのは主に学生達と『近未来の日本』だけですね、少なくとも、現在、既得権者として飯を食っている大学人には直接の影響はありません。さらに言えば、例え学生達が『教育優先の欠如』を指摘し、その変更を主張したとしても、彼らの意見が大学側に反映されることはまずありえないものと考えられます。
勿論、一部の大学人はこの状況を憂えていて、様々な行動を起こされているものと思われます。しかし執行部がそうした声に耳を傾ける可能性はほぼゼロに近いものでしょうね。この事は、日本の将来をきちんと考えていて、真の愛国心を持っている学者が激減している事と無関係ではないと思っています。さらに、これは自己愛の強い学者が増大している事に対応しているようで、これには本当に困ったことですが、一体どうしたらよいのでしょうか?
☆☆ 中教審・学術会議の存在意義? ☆☆
最近、島根県知事が文部科学相に噛みつきましたね。それはこの大臣が慶応の塾長を中教審の委員に任命したことに反発したと言う事のようです。島根県知事の主張は正論だと思いますが、しかし彼の言葉の選び方は少し乱暴すぎますね。
しかしながら、中教審の委員の人選はそれ程、重要な問題ではないように思われます。それは、これまで中教審が若者の教育に対してポジティブな貢献をしたと言う話が何処にもないからですね。従って、この委員会に何かを期待する事はできないと言う事は自分のように『物理マニアの学者』にも常識となっています。実際、地方大学が瀕死の状態になっていても、また大学院への進学率が激減しても、結局、何もしないで悠々としていたと言う事です。
中教審の委員に対して一つコメントするとしたら、彼らは基本的にボランティアであるはずなので、これら委員に『高額な手当』を支給する必要はないと言う事です。従って、委員に対してはすべて、交通費などの実費支給にするべきですね。これがまずは最初にするべきことであろうと思われますが、如何でしょうか?
その意味では、学術会議も同様ですね。学術会議の目的が何なのか自分には理解できてはいませんが、もしその存在意義があるならば、それぞれの学会が学術会議の費用を工面するべきであろうと思われます。何故、政府からの予算(国民の税金)に頼ろうとするのか理解できません。それとも、学術会議に選出された人達は何か『特別な意識』でも持っておられるのでしょうか?
さらに言えば、これまでの研究・教育政策(特に大学・大学院)は将来の日本を潰しかねない最悪のものであると言う事は良く知られている事実です。そして、学術会議が政府と独立であれば、その問題点をきちんと指摘して、その変更を迫るべきであったと考えられます。
学者はその個人が研究・教育をしっかり遂行する事が最も重要ですが、しかし同時に若手を育てる事も極めて大切な事です。若手研究者が大幅に減少してしまった現在、学術会議は具体的には何をどうしたいのでしょうか?
☆☆ 国立大授業料の無料化 (2024年7月) ☆☆
当然の事ですが、高等教育は国に取って生命線となっている程に重要なものです。ところが現在、大学では高額の授業料を払う事が当たり前になっています。昔、自分が大学生の頃(1960年代後半)の授業料は年間9千円でした。確かに、貨幣価値が今とはかなり異なっている事は事実ですが、やはりこの授業料は合理的なものでした。ちなみに当時、東京で賄い付きの下宿生活をした場合、1か月の下宿代は1万5千円でした。
しかしながら、社会保障が充実してきたら(家社会から脱却したら)高等教育も国が全責任を負って行う必要があり、この場合、大学の授業料を当然、無料にするべきです。最近、東大の授業料を値上げすると言う話が出ているようですが、この大学の教授たちの見識も地に落ちたものですね。大学教授と言う名の幽霊学者の集まりが大学の管理運営を行っている現状が垣間見えるような気がしています。これは本当に困ったことですが、しかしどうしたら良いのでしょう?尤も、まずは国が国立大学の授業料の無料化を行う事が先決ではありますが・・・。
☆☆ 東大授業料値上げ? (2024年12月) ☆☆
東大が授業料を値上げしようとしていると言う問題について、少なからぬ読者が疑問を持っているようです。このため、この問題点についてここで簡単に解説しようと思います。確かに、この10年以上に渡り、国立大学の予算は毎年1%程カットされて来たと言われています。このため地方の国立大学に取って、教育・研究どころか大学運営そのものがかなり困難に陥っていると思われます。
しかし、若者を教育すべき大学が授業料を値上げして、その大学経営の不足分の補填を学生に転嫁しようとする考え方はどこから出て来るのでしょうか?勿論、実家が裕福な学生も一定数いるとは思います。しかし日本の将来を背負って立つ若者は苦学生から多く出て来ることは間違いない事です。その若者達に取って、そもそも現在の国立大学の授業料はお話にならないくらい高すぎます。この高すぎる授業料をさらに値上げするなど、これはまともな学者が考える事ではありませんね。
さらに言えば、各学部の教授会は執行部の決定に対して何も言わないのでしょうか?まさか、過半数の教授が『幽霊学者』になっているわけでもないでしょうに、実際はどうされたのでしょう??
多くの読者が疑問に思っているのは『予算が足りなくなったらその補填を何故、政府に直談判しないのか?』と言う事であろうと思います。これは不思議としか言いようがない事案ですね。東大は政府(または文科省)に対して、何か遠慮でもしているのでしょうか?これまで十数年間、行政は大学教育全般に対して『途方もない愚かな政策(取り返しがつかない程の失政)』を実行してきたわけですが、大学側はこの点に関して、どのように理解されているのでしょうか?
大学は行政(政府)に対してどこまでも強く厳しく接する必要がありますが、これは『有能な若者を育てる』と言う日本の将来が掛かっている重大問題だからですね。現在、日本の研究・教育レベルの低下は相当、深刻になっていると言われています。しかし関係者諸氏は暢気でおられるように見えますが、実際はどうなっているのでしょうか?まさか『有能な若者は自然に育つ』とでも思っているのではないでしょうが???
最近、国の防衛問題が盛んに議論されていて、実際、防衛費が大幅に増額されています。しかし国を守るのは人であり、その人が持っている総合力が国防の重要なファクターです。現在のように高いレベルを持つ職人的な科学技術屋が大幅に減少していると言われている状況下で、国の実力(防衛力)は本当に大丈夫でしょうか?この時代、お金を出せば何とかなると言う考えはもはや時代錯誤も甚だしいものですが、教育をおろそかにして来た『つけ』がいずれ噴出してくるのではないかと危惧しています。
多くの政治家や既得権者はこの30年近くに渡り、高等教育を最重要課題とはしてきませんでした。実際、最近の大学院生の数は減少を続けていて、さらに若手研究者数はかっての3分の1になってしまったと言われています。現実問題として、職人的な科学技術屋の育成がないがしろにされてきたため、今後『重要な兵器の製造』を考えざる得ないような緊急事態に直面した場合、それを実現できる職人的な技術者がいないと言う状況になっている恐れが十分あります。政治家や既得権者は現代日本の科学技術の実力に何か幻想を抱いている(または彼らの思い上がり)としか考えられませんが、これは非常に心配ですね。
政治家は『一度、その技術力を持つ職人的な技術屋が絶えてしまうと、その回復には想像以上に長い時間が掛かる』と言う事実をきちんと認識する必要があります。これは職人の世界では当然として理解されている事ですが、科学技術の世界でも同じことですね。さらに言えば、その回復が不可能になってしまう恐れも当然、あります。例えば、電卓を使った計算ばかりしていると、その人の計算力はなくなってしまい、恐らくその回復は不可能となるでしょう。同じことが科学技術の世界でも起こり始めているように感じています。これが杞憂であれば良いのですが・・・。
[注1] 幽霊学者 : ここでは中身が乏しく、足が地についていない学者と言う意味合いで使っています。それ以上の意味は特にありません。
[注2] 幽霊学生 : この言葉は昔はよく使われたものです。これは『登録はしているがほとんど出席しない学生』の事を言います。昔(35年前)、Heidelberg である集会がありましたが、その時一人の日本人が『日本語学科は結構、人気があるようですが学生数はどのくらいでしょうか?』と Heidelberg 大学日本語学科のドイツ人教授に質問されたことがありました。この時、その先生は『確かに、学生の登録者数はかなり多いですね。しかし半分以上は幽霊学生です』と答えられました。この絶妙な返答に、この先生の日本語の実力は相当のものであると感心した事を覚えています。
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[付記G] : 何故、一般相対論は無意味か? [2023年12月]
現在、一般相対論が何故,物理的には無意味な理論であるかと言う事が厳密に証明されています。これは Einstein 方程式は数学的に間違っていると言うわけではありませんが、しかし物理的には無意味な方程式であると言う事の証明です。小ノート 『 何故、一般相対論は無意味か? 』を参考にしていただければと思います。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論のような物理的に意味をなさない理論に多くの人々が振り回されてきた事実は取り返しがつかない程、重いものですね。しかしこれからは前を向いて行くしかありません。この場合、物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要であると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を模索している時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事です。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。
[付記TT] : 耳に胼胝(タコ) [2025年1月]
耳に胼胝(タコ)ができる程、繰り返し言っている事ですが、レベルが高くなればなるほど、常に新しい技術を学び続ける事が重要です。学問の世界(特に理論物理)では、教授になってからどのくらい努力して新しい計算技術を学び続けるかと言う事が極めて重要なポイントになっています。さらに、物理学において最先端の研究を行うためには30歳過ぎてからの猛烈な努力が必要なものです。その努力を続けて行かないと幽霊学者になってしまいます。そして、物理学における現在の日本の状況に関してはかなり憂慮するべき状態となっていますね。尤も、アメリカの(有名)大学ではすでに30年近く前からどうにもならない程、レベルが低下してきたわけですが、近年、日本がこれを見習うようにレベル低下が起こっています [ 日本の科学研究の凋落] 参照。本当に、どうしたら良いのでしょうか?
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