大学院教育 : 米国の科学技術力 (2025年4月)
最近、米国が相互関税を世界の国々に課したため、世界経済が少し混乱しているようです。自由貿易の旗手だった国が突然、保護貿易に転換してしまうと言う事は普通ではあってはならない事ですね。しかしながらこの場合、その国の指導者(達)がかなりの経済音痴であると言う事も混乱の一因であろうと思われます。さらに、彼等が広い視野を持ち合わせていないと言う事も問題が深刻化している理由かも知れませんね。
一方において、これは米国が科学技術的には世界のリーダーではなくなっていると言う事実の反映にも対応していると思っています。米国は基本的に移民の国なので、これまで長い間(戦後半世紀ほど)、優秀な人材を世界各地から集める事によりその科学技術力を保持してきました。しかし、この30年に渡り、世界各国が独自に科学技術力を高めてきたのに対して、一方の米国はその努力を怠ってきたものと考えられます。
しかしそれにしても、その低落の主な原因は何処にあったのでしょうか?以下は一つの推論ですが、それ程、無謀なものではないとは思っています。
30年程前に、MIT の物理学科の研究室にしばらく滞在した事がありました。その時、雑談としてですが、その大学院における深刻な問題点を議論する機会がありました。自分を招待してくれたN教授は優秀な研究者であるとともに、教育にも熱心な物理学者でした。その彼の説明によって、米国における研究・教育状況の問題点が明らかにされましたが、その深刻さには仰天し、暗澹たる気持ちになったものです。
それは、その当時の米国の大学院におけるアメリカ人の進学率と関係しています。彼の話によれば、博士課程にはアメリカ人がほとんどいないと言う事でした。勿論、米国は移民の国なので純粋のアメリカ人と言う定義も難しいものとは思います。しかし少なくとも近年の移民としてではなく、一定期間アメリカに住みつき、そこで生まれ育ったと言う若者のうちで、大学院の博士課程に残って研究職に就職したいとする若者の割合が極めて少ないと言う事でした。
これはどういう事でしょうか?まず重要なポイントとして、当時、大学院に進学する若者の多くは東洋系の大学生かまたは世界各国の留学生であると言う事でした。ところが、彼らアメリカ人以外の若者達はその大半が修士・博士を取得した後、高収入の職種についてしまうかまたは自国に帰国してしまうため、研究職には進まないと言う事でした。その時、彼に『That's very dangerous for your country』と言ったことをよく覚えています。この状況が何年も続くとどうなるかと言う問題はある程度、推測出来る事ですね。
しかし実際問題として、その後のアメリカの大学院の状況は自分には把握できてはいません。しかしながら、もしその状態が続いたとしたならば、現在のアメリカにおける科学技術の低迷状況が納得できるものと思っています。
研究職は基本的に地味な職業であり、確かにお金儲けになる事はありません。また科学技術の習得には長い時間が掛かります。しかしこれが実際問題としてはすべての工業技術の基礎となっています。そして、その土台がなくなったら、その国の科学技術力は徐々に低迷して、いずれ衰退してしまう可能性が大であると思われます。
ここからは物理学者の話になります。実際問題として、すでに20年以上前から、米国における理論物理学者のレベルは、ほんの一部を除いて、どうにもならない程、低落していた事は事実です。さらに、10年程前には実験物理学の研究者においても、重力波の測定と言う物理的には無意味な実験に百人を超える若者が巻き込まれてしまいました。実際、この重力波は当時すでに観測上、意味をなさない事が分かっていたものです。そして、そのリーダー格の物理学者に関しては、そのインタビューなどからして、恐らく大学4年次程度の物理の知識と理解力の研究者であろうと言う印象を持った事を記憶しています。
尤も、そのグループは『重力波の痕跡』を示すシグナルを1イベント発見したと大々的に宣伝しました。この場合、『重力波』を『空間の振動』として物語を作ったのですが、それが物理的に何なのかは勿論、分からないまま『測定装置』を作り上げて、1イベント『発見』してしまったものです。その後、その観測の検証もされることなく、ノーベル賞をもらってしまいました。しかし、一般相対論が物理的に全く無意味である事が厳密に証明されている現在、この人達はどうするのでしょうね [何故、一般相対論は無意味か?]。
これは、ノーベル賞候補の推薦者達とその賞の選出者達(ローカルノーベル委員会)がどうにもならない程、その知識と理解のレベルが低くなっていると言われている事の証左ともなっています。尤も、この事は学者の間では結構、昔から良く知られているものですね。従ってこの状況が続く限り、ノーベル賞はマスコミが宣伝している栄誉とは程遠いものである事は間違いない事です。しかしながらこれらの問題は自然科学とは無関係であり、実際にはどうでも良い事ですね。
現在、自分も最先端の場の理論計算を2年近くかけて行っています。しかし技術的にはそれ程、衰えてはいないと自分では思っていても、計算の速さとか正確さにおいてやはり『スーパー若手研究者達』には到底、かないませんね。しかしそれでも、時間を掛けて計算を行う事は非常に楽しくて、来年「ハチマル」になる古手としては十分なレベルの計算力であると自分では楽観しています。
しかしながら今後、日本の科学技術力が進展して行くためには一定数以上の優秀な若手研究者が着実に育って行く事が本質的な絶対条件となっています。若手研究者が大幅に減少してしまった根本原因は勿論、任期なしの常勤研究職(大学や研究機関)が話しにならない程、少な過ぎるからですね。このような馬鹿げたことが起ってしまったことは非常に残念です。しかしこの四半世紀以上に渡り、我々は何を何処でどう間違えたのでしょうか?
☆☆ 日本の科学技術力 ☆☆
それでは日本の場合、その科学技術力はどうなっているのでしょうか?これは [日本の科学研究の凋落]でも議論していますが、どう言うわけか近年の日本は米国の後を追いかけているようにさえ見られます。すなわち、日本も少しずつ低落の状態に突入しているものと思われます。しかし、我が国は移民の国ではないので、常に自前で優秀な科学技術者を育成する必要があります。
しかしながら、日本の現実はかなり厳しい状況になっていると思います。大学院の進学率は減り続けているし、若手研究者は3分の1に減少してしまったと言われています。さらに地方の国立大学は瀕死の状態になってからすでにかなりの時間が経っています。これでは、近未来の日本の科学技術の基礎を誰が担って行くと言うのでしょうか?
さらに言えば、政治家も大学関係者達も自分達が直接、困ると言うことはない事でもあり、何もしないで悠然としているように見受けられます。そして、政治家や既得権者に取っては教育優先の必要性は感じないと言う事であろうと思われますが、実はこれが一番深刻な問題となっています。
大学院教育を充実させ、若手研究者を大幅に増やすことは明らかに緊急課題です [大学教育 : 学長の資質]。しかし誰も動かないし、何も変わらないで時間だけが過ぎて行きます。結局、彼ら政治家や既得権者はこの国を愛すると言う気持ち(真の愛国心)が希薄過ぎて、自己愛が強すぎるとしか考えられないものですが、どうでしょうか?
恐らくこの場合、日本の科学技術力がさらに低下を続けて、にっちもさっちも行かなくなった時に、初めて教育の重要性に気が付くと言う事になるかと思われます。日本は資源の乏しい国のため、これまで『教育立国』として頑張って来たものと思いますが、それがすべてぶち壊されてしまう恐れが大であると危惧しています。
☆☆ 国立大授業料の無料化 (2024年7月) ☆☆
当然の事ですが、高等教育は国に取って生命線となっている程に重要なものです。ところが現在、大学では高額の授業料を払う事が当たり前になっています。昔、自分が大学生の頃(1960年代後半)の授業料は年間9千円でした。確かに、貨幣価値が今とはかなり異なっている事は事実ですが、やはりこの授業料は合理的なものでした。ちなみに当時、東京(中野坂上)で賄い付きの下宿生活をした場合、1か月の下宿代は1万5千円でした。
しかしながら、社会保障が充実してきたら(家社会から脱却したら)高等教育も国が全責任を負って行う必要があり、この場合、大学の授業料を当然、無料にするべきです。最近、東大の授業料を値上げすると言う話が出ているようですが、この大学の教授たちの見識も地に落ちたものですね。大学教授と言う名の幽霊学者の集まりが大学の管理運営を行っている現状が垣間見えるような気がしています。これは本当に困ったことですが、しかしどうしたら良いのでしょう?尤も、まずは国が国立大学の授業料の無料化を行う事が先決ではありますが・・・。
☆☆ 中教審・学術会議の存在意義? (2025年4月) ☆☆
最近、島根県知事が文部科学相に噛みつきましたね。それはこの大臣が慶応の塾長を中教審の委員に任命したことに反発したと言う事のようです。島根県知事の主張は正論だと思いますが、しかし彼の言葉の選び方は少し乱暴すぎますね。
しかしながら、中教審の委員の人選はそれ程、重要な問題ではないように思われます。それは、これまで中教審が若者の教育に対してポジティブな貢献をしたと言う話が何処にもないからですね。従って、この委員会に何かを期待する事はできないと言う事は自分のように『物理マニアの学者』にも常識となっています。実際、地方大学が瀕死の状態になっていても、また大学院への進学率減少が続いていても、結局、何もしないで悠々としていたと言う事です。
中教審の委員に対して一つコメントするとしたら、彼らは基本的にボランティアであるはずなので、これら委員に『高額な手当』を支給する必要はないと言う事です。従って、委員に対してはすべて、交通費などの実費支給にするべきですね。これがまずは最初にするべきことであろうと思われますが、如何でしょうか?
その意味では、学術会議も同様ですね。学術会議の目的が何なのか自分には理解できてはいませんが、もしその存在意義があるならば、それぞれの学会が学術会議の費用を工面するべきであろうと思われます。何故、政府からの予算(国民の税金)に頼ろうとするのか理解できません。それとも、学術会議に選出された人達は何か『特別な意識』でも持っておられるのでしょうか?
さらに言えば、これまでの研究・教育政策(特に大学・大学院)は将来の日本を潰しかねない最悪のものであると言う事は良く知られている事実です。そして、学術会議が政府と独立であれば、その問題点をきちんと指摘して、その変更を迫るべきであったと考えられます。
学者はその個人が研究・教育をしっかり遂行する事が最も重要ですが、しかし同時に若手を育てる事も極めて大切な事です。若手研究者が大幅に減少してしまった現在、学術会議は具体的には何をどうしたいのでしょうか?
☆☆ 大学教育 : 学長の資質 (2025年4月) ☆☆
最近、大学の学長達(例えば東大と慶応)について、何かと言うと『お金』に関連した記事が報道されています。彼らが『お金お金』と言っているわけでは無いとは思いますが、しかしこれは大学人らしくない話題でもあり、かなり心配な事ではありますね。何か、20年前の日大の状況に少し似ているような気がしていますが、どうでしょうか [日大執行部の機能不全]。その日大は林理事長が予想を超えて頑張っておられるようで、近い将来には昔の『温かみのある教育優先の日大』に復帰出来るものと期待しています。少なくとも林さんは『拝金主義的(?)な学長達』とは対極にあるように見受けられます。
それでは何故、東大の学長がお金に拘泥するのでしょうか?これは恐らく、大学の執行部が学生の教育よりも大学の管理・運営を優先している事と関係しているものと思われます。その上『学長』に対する意味合いが昔とは大幅に異なっている事もその一因と考えられます。すなわち、現在の学長や執行部の人選は必ずしも『見識ある優れた学者』をベースとしているとは限らなく、むしろどちらかと言えば『組織の代表』としての意味合いが強いものと思われます。企業では執行部が無能だとその会社が潰れてしまう危険性があるため、執行部の人選はかなり重要で、企業の命運が掛かっている可能性があると思われます。しかし大学の場合、良い教育をして実力のある若者を育てる事が使命であり、金儲けではありません。その意味では、大学の学長には見識のある優れた学者が選ばれる事が最も良い人選である事は明らかですね。
ところが、大学法人化後は、大学も自らある程度の研究費を稼ぐべきであると言う『狂った政策』が実行されてしまいました [日本の科学研究の凋落]。このため、大学においては金集めを主眼とした学長や理事長と言った執行部が選出される場合が稀ではなくなりました。勿論、これらの人達に『高い見識』を期待し、求める事は無理な話ですね。その結果、大学の執行部には2流半の政治的な学者達が主流を占めてしまう可能性が避けられないものとなっています。
従って、現在の大学においては『教育中心』からはかけ離れた方向性により、事が進められてしまう恐れが少なくないと思われます。ところが、大学で『学生不在』の管理・運営をしても、そのことで困るのは主に学生達と『近未来の日本』だけですね、少なくとも、現在、既得権者として飯を食っている大学人には直接の影響はありません。さらに言えば、例え学生達が『教育優先の欠如』を指摘し、その変更を主張したとしても、彼らの意見が大学側に反映されることはまずありえないものと考えられます。
勿論、一部の大学人はこの状況を憂えていて、様々な行動を起こされているものと思われます。しかし執行部がそうした声に耳を傾ける可能性はほぼゼロに近いものでしょうね。この事は、日本の将来をきちんと考えていて、真の愛国心を持っている学者が激減している事と無関係ではないと思っています。さらに、これは自己愛の強い学者が増大している事に対応しているようで、これには本当に困ったことですが、一体どうしたらよいのでしょうか?
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[付記G] : 何故、一般相対論は無意味か? [2023年12月]
現在、一般相対論が何故,物理的には無意味な理論であるかと言う事が厳密に証明されています。これは Einstein 方程式は数学的に間違っていると言うわけではありませんが、しかし物理的には無意味な方程式であると言う事の証明です。小ノート 『 何故、一般相対論は無意味か? 』を参考にしていただければと思います。
結局、これまで現代物理学の最も重要な命題は『新しい重力理論が場の理論的に作ることができるか?』と言う事に集約されていました。これがあれば、もともと一般相対論は不要でした。新しい重力理論に関しては [教科書 Fundamental Problems in Quantum Field Theory (Bentham Publishers, 2013) ] を参考にして頂ければと思います。
一般相対論のような物理的に意味をなさない理論に多くの人々が振り回されてきた事実は取り返しがつかない程、重いものですね。しかしこれからは前を向いて行くしかありません。この場合、物理を学ぶ時に、実は哲学を学ぶ事も重要であると考えています。特に、研究において、どのような方向に進んで行くべきかと言う事を模索している時に、哲学的な思考法は重要な指標を与えてくれることがしばしばある事は間違いない事です。詳しい事はここでは触れませんが、最近出版された 『恣意性の哲学』(四方一偈著、扶桑社新書476) が少し参考になるかも知れません。この本は物理とは直接の関係はありませんが、私の最も親しい人が書いた本なのでここに挙げておきます。若手研究者は時間を見つけて是非、読んで頂きたいと思います。
[記:この哲学書の著者 (兄・圭一) は令和6年4月初めに他界]
[付記 S]:積み重なる努力 [2024年1月]
現代においても、才能ある若者がその才能をあまり発揮できていない場合がよく見られています。これは才能はあっても、実際には環境とか運とかタイミングがかみ合わなかったりして、その才能をうまく開花できていないと言うことですね。それではこの場合、その才能を発揮してさらに伸ばして行くためにどうしたらよいのでしょうか?恐らく最も重要な点は、他の人よりもより多くの『積み重なる努力』を続ける事であろうと考えられます。
それでは、その『積み重なる努力』とはどのようなものなのかが問題となりますね。物理学において、自分の実力をつけるために、物理の教科書(例えば電磁気学)を何回も読んでそれをほとんど覚えてしまうような、そう言う努力をしたとしましょう。ところが、この努力は大学において試験の点数を稼ぐには効果があるかも知れませんが、残念ながらこれは積み重なっては行かないものとなっています。教科書を覚える事をしても、これは物理の基礎トレーニングにはなっていないからですね。一方において、例えば電磁気学の演習問題を執拗に解きまくると言う事を実行して行くと、これは物理における積み重なる努力に対応しています。但し、これは途方もなく時間が掛かってしまうし、また非常にタフな作業となっています。従ってこの演習問題を解くと言う基礎トレーニングを効率よく行う必要があります。それは、人が持っている時間(人生)は有限であり、そのハードな作業を一定の時間内にやり遂げる必要があるからですね。従って、この作業を実行して自分の実力をある期間内に向上させる事ができるかどうかが重要なポイントとなっています。そして、これができるかどうかも一つの(別個な)才能と言えるものかも知れませんね。
[付記SS] : 理論物理の基礎トレーニング [2024年7月]
理論物理学の研究においてトップレベルの新しい研究を持続して行うためには『基礎物理学の演習問題を解く』と言う作業が重要となっています。例えば、電磁気学の演習問題を解き直してみるとかゲージ不変性について再検証すると言うような基本的な作業を普段から行っていない限り、高いレベルの研究を続けることは、まず不可能となっています。実際問題として、しばらく前に提案した『 試験問題 』を自分で解けない研究者が新しい研究を遂行できるはずがありません。理論物理学の新しい研究は常に基礎物理学を土台として、その上に成り立っているからですね。
[付記TT] : 耳に胼胝(タコ) [2025年1月]
耳に胼胝(タコ)ができる程、繰り返し言っている事ですが、レベルが高くなればなるほど、常に新しい技術を学び続ける事が重要です。学問の世界(特に理論物理)では、教授になってからどのくらい努力して新しい計算技術を学び続けるかと言う事が極めて重要なポイントになっています。さらに、物理学において最先端の研究を行うためには30歳過ぎてからの猛烈な努力が必要なものです。その努力を続けて行かないと幽霊学者になってしまいます。そして、物理学における現在の日本の状況に関してはかなり憂慮するべき状態となっていますね。尤も、アメリカの(有名)大学ではすでに30年近く前からどうにもならない程、レベルが低下してきたわけですが、近年、日本がこれを見習うようにレベル低下が起こっています [ 日本の科学研究の凋落] 参照。本当に、どうしたら良いのでしょうか?
[fffujita@gmail.com]